名古屋地方裁判所 昭和43年(ワ)3792号 判決 1969年12月17日
原告
安藤勇
ほか一名
被告
豊橋市
主文
一、被告は原告安藤勇に対し三九万三、六〇三円、同安藤きよ子に対し三九万三、六〇三円とこれらに対する昭和四三年一二月一四日から各完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。
二、原告らのその余の請求を棄却する。
三、訴訟費用は、これを四分し、その三を原告ら、その余を被告の各負担とする。
四、この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。
事実
第一、求める裁判
一、原告ら
「被告は原告安藤勇(以下原告勇という。)に対し一七〇万六、八八九円、同安藤きよ子(以下原告きよ子という。)に対し一七〇万六、八八九円とこれらに対する昭和四三年一二月一四日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決。
二、被告
「原告らの請求を棄却する。訴訟費用は原告らの負担とする。」との判決。
第二、原告らの請求原因
一、訴外亡安藤文朗の身分
訴外亡安藤文朗(以下文朗という。)は、消防組織法の規定に基づき、豊橋市消防団条例によつて設置された豊橋市消防団の団員に任用され、八町分団に編入されていたものである。
二、事故の発生
文朗は、昭和四二年二月一八日午後一時二〇分頃、豊橋市下条西町の火災現場に向かい消防自動車(以下加害車という。)に乗車して出勤の途中、同市牛川町地内の県道で、対向車を避けるため右加害車を運転していた訴外清水弘がその運転を誤り、左側の道路から約八メートル下の水田に転落した際、加害車の下敷きとなり、受傷のうえ同日午後二時頃死亡した。
三、被告の責任
被告は加害車の運行供用者であり、又訴外清水は被告の特別地方公務員(消防団員)であるところ、本件事故は被告の公務出勤中に発生したものであるから、被告は国家賠償法一条一項、自動車損害賠償保障法三条、民法七一五条による責任がある。
四、損害
(一) 文朗の逸失利益 三九一万二、九五五円
文朗は理髪業を営み年間四〇万八、九四五円程度の所得をあげ、そのうち四割を自らの生活費として控除した二四万五、三六七円が純収入となつていた。そこで原告らの消防団員等公務災害補償年金(一〇万〇、七四〇円、以下単に年金という。)受給の開始時である昭和四五年三月を基準点として文朗の逸失利益を算出すると次のとおりとなる。
(1) 昭和四二年二月より同四五年二月まで
七三万六、一〇一円(二四万五、三六七円×三)
(2) 昭和四五年三月より同七三年二月まで
文朗は昭和一三年一月二七日生(死亡当時二九年)であつたから仕事の性質から見て満六〇才までは充分稼働し得べく、これが二八年分の純収入の総計を年五分の割合でホフマン式計算により算出すると四二二万五、四九六円となる。
(二四万五、三六七円×一七・二二一一)
(3) 昭和四五年三月より年金受領可能年度まで
年金は原告勇の生存中のみ受領しうるのであるから、その余命を一四年としその間に受領できる年金を右ホフマン式計算により算出すると一〇四万八、六四二円となる。
(一〇万七四〇円×一〇・四〇九四)
(4) 以上(1)と(2)の合計より(3)を差し引いた三九一万二、九五五円が文朗の逸失利益となる。
右損害賠償請求権を原告らは文朗の父母として各自二分の一にあたる一九五万六、四七七円を相続した。
(二) 原告らの慰藉料各一五〇万円
原告らは文朗を事業の後継者として、又原告らを扶養すべき人として真にたよりにし、又文朗は好学心に燃えた好青年で慶応義塾大学の通信教育を受講して将来を嘱望されていたが本件事故により事業の継続は不可能となり、老令にある原告らの受けた精神的打撃は言うべき言葉を知らない。右精神的苦痛に対する慰藉料は原告らに各一五〇万円宛が相当である。
以上(一)(二)の合計 原告ら各三四五万六、四七七円
(三) 原告らの受領金
1 愛知県消防協会弔慰金 二万円
2 日本消防協会弔慰金 五、〇〇〇円
3 豊橋市功労表彰賜金 一万円
4 同市消防賞じゆつ金 一〇〇万円
5 自動車損害賠償責任保険金 一五〇万円
6 愛知県顕彰表彰賞賜金 七五万円
7 国の顕彰表彰賞賜金 一〇万円
以上合計金は三三八万五、〇〇〇円となるのでその二分の一の原告ら各一六九万二、五〇〇円宛を前記損害金より控除すると各一七六万三、九七七円となる。
(四) 弁護士費用
原告ら各七万五、〇〇〇円宛を本訴請求と相当因果関係ある損害として請求する。
五、よつて原告らの受けるべき損害金は各一八三万八、九七七円となるところ、その内各一七〇万六、八八九円の支払を求めるため本訴に及んだ。
第三、被告の請求原因に対する答弁および主張
一、請求原因第一ないし三項の事実は認める。
(一) しかし、本件事故は文朗が上司の命により加害車に乗車し出勤した途上に発生したもので、文朗は右公職の作用としての職務執行中に受けた災害により死亡したのであるから、原告らが損害の賠償を請求せんとせば国家補償法によるべきである。
(二) なお又、被告としては規定の範囲内において最高の補償をなしたので原告らにおいても之を感謝しその余の一切の請求権を放棄し円満に解決しているものである。
二、同第四項の事実中、文朗が理髪業をしていたこと、文朗の死により父母たる原告らが精神的打撃を受けたこと、原告ら主張の三三八万五、〇〇〇円(請求原因第四項(三)の1から7までの金員の合計)が支給されていることは認めるが、その余の点は否認し又は争う。
(一) 文朗は原告らと三名共同で理髪業をしていたものである。
即ち、理髪業は原告勇が営業主、長男文朗を専従者となしそれに妻原告きよ子を加えて小規模になしていたもので文朗は経営の主体ではなかつた。そして原告勇の所得は昭和四一年度二〇万八、二五二円、同四二年度一八万二、八四八円、同四三年度一八万五、四三三円であつて、文朗の死亡により原告勇の収益の減少することはすくなく、これによれば、昭和四一年度における文朗一人の収得利益は極めて僅少であつたというべきである。
(二) なお原告らは前記三三八万五、〇〇〇円の外次の各金員を受領している。
1 市長香奠 一〇万円
2 方面隊連絡協議会香奠 五、〇〇〇円
3 消防団員一同香奠 一三万円
4 消防職員一同香奠 一万三、七〇〇円
5 団葬香奠 一三万五、二五〇円
以上合計三八万三、九五〇円
(三) その外次の金員支給を決定している。
1 年金年額一〇万〇、七四〇円
昭和四五年三月より原告勇の死亡まで。
2 消防育英奨学金月額五、〇〇〇円
文朗の弟訴外安藤憲三に対し昭和四三年一月一日より大学卒業まで。
第四、証拠〔略〕
理由
第一、文朗の身分関係と本件事故の発生
請求原因第一、二項の事実は当事者間に争いがない。
第二、被告の責任
請求原因第三項の事実は当事者間に争いがないから被告は国家賠償法一条一項により原告らの後記損害を賠償する義務がある。
なお〔証拠略〕によると加害車の運転者であつた訴外清水との間で既に示談が成立していることが認められるが右各証拠それに後記認定のような被告の原告らに対する金員の支払関係等を綜合しても、(原告勇本人尋問の結果と対比して)これらをもつて直ちに被告主張のような原告らの被告に対する損害賠償の一切をも解決し国家賠償法等による損害賠償請求権をまで放棄した趣旨のものであるとはとうてい認めることはできず他に右主張を認めるに足る証拠はないので被告の主張は理由がないこと明らかである。
第三、そこで本件事故によつて生じた損害について検討する。
一、文朗の逸失利益
(1) 文朗が理髪業をしていたことは当事者間に争いがないところ、〔証拠略〕を綜合すると右理髪業の経営の内容は次のようなものであつたことが認められる。
理髪業はもともと文朗の父原告勇(明治四二年生)が大正年代に名古屋市内で始めたもので昭和二六年頃になつて豊橋市内に移り住み店をもつようになつたこと、原告勇の家族構成は妻原告きよ子(大正元年生、理容師の免許はない。)長女訴外宮田純子(昭和一〇年生、理容師の免許を有するが、昭和三七年結婚して外へ出る。)長男文朗(昭和一三年生)、二男訴外安藤勇機(昭和一八年生自衛隊員)、三男訴外安藤憲三(昭和二一年生、昭和四四年大学卒業し会社員となる。)となつていること、文朗は高校在学中より理容師の免許をとつて父勇の手伝をし、高校卒業後は東京に理容の修業に出るなどして一家のうちで文朗が父の後継者となるべく早くから身を入れていたこと、昭和三三年八月頃原告勇が事故で背中を打つたことがもとで脊椎カリエスを煩うところとなり急きよ文朗が東京から呼びもどされるところとなり、以後は前記純子らの手伝いもあつたものの(ただし、昭和三七年頃まで)、家業としての理髪業は文朗が中心となつて運営されるようになつたこと、そして本件事故当時における文朗と原告勇の営業に対する寄与率はおおよそ文朗が七原告勇が三ぐらいであつたこと、ただ納税等の対外的な関係では従前のまま原告勇が経営者として名前をかかげ、文朗は事業専従者としての取扱いをしていたこと、そして文朗死亡後は他家に嫁いだ純子を通勤させるなどしてなんとか営業を続けたが、結局人手不足と原告ら自身の病弱それに老令も加わり昭和四四年九月廃業のやむなきに至つたことが認められる。
以上の事実によると事故当時における理髪業の経営者は形式的には原告勇となつていたが、実質的には文朗であつたといわざるをえず、又右廃業は本件事故の発生そして文朗の死亡と相当因果関係があるものと認める。
(2) そこで前掲各証拠を綜合すると各年度における原告ら一家の理髪業の営業収益(所謂所得の申告額に文朗の専従者控除部分を加算したもので算出するのが相当である。)は昭和四〇年度四三万七、一三九円、同四一年度三八万〇、七五二円でその平均額は四〇万八、九四五円であるから毎年右金額程度の収益を挙げうることは十分推認しうるところ、前記認定のような文朗と原告勇の本件理髪業に対する寄与率を考え合せると、文朗の寄与分は右金員のうち三〇万円と認めるのが相当である。そして文朗の生活費として原告ら主張のとおり四割をみれば十分であるから、それを控除すると年間の純益は一八万円となる。右金員を基礎として文朗の逸失利益を算出すると、
1 昭和四二年二月から同四五年二月までの分
原告ら主張のとおり三年間としてその逸失利益を算出すると、五四万円となる。
2 昭和四五年三月から同七三年二月
文朗の年令、生活態度、仕事の内容等から見て原告ら主張のとおり満六〇年までは充分稼働し得べく、これが二八年分の純収入の総計を民事法定利率年五分の割合でホフマン式計算法(年別・複式)により算出すると三〇九万九、七九八円となる。
3 年金受領分
原告勇の生存中の年金受領総額を算出すると原告ら主張のとおり一〇八万八、六四二円となる(年金が昭和四五年三月から原告勇死亡まで毎月一〇万〇、七四〇円宛支給されることは当事者間に争いがない。)
以上1と2の合計より3を差し引くと二五五万一、一五六円となるのでこれをもつて文朗の逸失利益と認める。
すると文朗は右金員の損害賠償請求権を取得したものであるところ、〔証拠略〕によると原告らと文朗の身分関係が原告ら主張のとおりであるから、原告らは法定相続分の割合でその各二分の一の一二七万五、五七八円の各請求権を相続したことになる。
二、原告らの慰藉料
原告らが文朗の死亡によりその父母として多大の精神的打撃を受けたことは当事者間に争いがなく、それに前記認定のような本件事故の状況その他本件にあらわれた諸般の事情を考慮すると、原告らの精神的苦痛に対する慰藉料は各一〇〇万円宛と認めるのが相当である。
三、弁護士費用
本件事案の内容、審理の経過その他本件にあらわれた一切の事情を考慮すると被告に対し本件事故による損害として賠償を求め得べきものは原告らにつき各四万円と認めるのが相当であある。
以上一ないし三の合計
原告ら各二三一万五、五七八円
四、充当関係
(一) 原告ら主張の請求原因第四項(三)の1から7までの金員合計三三八万五、〇〇〇円が支給されていることは当事者間に争いがない。
(二) 〔証拠略〕によると、原告らにおいて被告の主張第二項(二)の1ないし5までの金員合計三八万三、九五〇円の支払を受けていることが認められる。
(三) 〔証拠略〕によると被告は文朗の弟訴外安藤憲三に対し消防育英奨学金として昭和四三年一月一日より同四四年三月まで月五、〇〇〇円宛計七万五、〇〇〇円支給(同四四年四月大学卒業したこと前記認定のとおりである。)していることが認められる。
以上(一)ないし(三)の合計は三八四万三、九五〇円となるが、これを前記原告らの損害金にその二分の一の一九二万一、九七五円宛づつ充当するを相当と認め、これを控除すると原告らの損害金は各三九万三、六〇三円となる。
第四、結論
よつて、原告らの本訴請求のうち、各三九万三、六〇三円とこれに対する本訴状送達の翌日である昭和四三年一二月一四日から各完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める部分は理由があるからこれを認容し、その余は理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条、九三条、仮執行の宣言につき同法一九六条を各適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 高橋一之)